2011-03-21

私の3.11  [by miyachi]

2011年の3月11日(金)は日本にとって忘れることができない1日になりました。改めまして東北関東大震災を被災された全ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。まだ全てが終わったわけではありません。むしろこれからなのだと言うつもりで非力ではありますが出来ることをやって行きたいと考えています。

さて私の当日の体験を簡単にまとめておきます。と言っても直接的な影響はありませんでしたので決して何か凄い経験をしたわけではありません。どうだったのかと言うことを記録しておこうと言う程度の目的です。

3月11日は弊社3名のメンバーのうち1名は外出中で私ともう1名が事務所に残っていました。事務所に残っていたもう1名がちょうど煙草を吸いに外に出た後(事務所内は禁煙なのです)で震度3程度の良くある地震が。私はいつものようにパソコンで仕事中でした。ゆさゆさと来たので「お?地震だ。」と言う程度でした。ただ地震は弱くなるどころかだんだんと大きくなってきました。途中で「これはマズそうだ!」と思い事務所のドアを空けてそこでドア枠をつかんでいました。すると更に揺れは大きくなり経験したことが無い程の地震に。事務所内では私の机の横の書類が雪崩をおこし、珈琲豆のビンが転がり机の上のパソコンも落ちそうでした。正直地震が本当に怖いと思った初めての体験です。「これは遂に来るものが来てしまったのか!?」と思っているとビルの階段の上の方からは次々と何かが壊れる音がしています。「まさかビルが壊れているんじゃ無いよな?」と思いつつももうドア枠にしがみついているしかできませんでした。何分続いたでしょうか?やっと揺れもおさまってきました。

結果としては事務所がある千代田区は震度5強だったようです。あれで震度5強?震度7なんてきっと予想もつかない揺れなんだと恐ろしくなります。

そうこうしていると煙草を吸いに外に出ていたメンバーも部屋に戻ってきて。「外も凄かったです。」との報告が。すぐに会社の固定電話から自宅の固定電話へ。こういう時に携帯は繋がりません。妻と二女は無事が確認できました。自宅の中もメダカの水槽の水がこぼれた程度です。ただ長女が学外学習でお台場に行っていました。心配していたところ妻から携帯メールが。どうやら長女は学校に戻る途中の門前仲町で被災したようです。先生と一緒だと分かったのでまずは一安心です。

もう一人のメンバーも家族と何とか連絡が取れたのですが外出中のメンバーと連絡がすぐに取れませんでした。ただこちらも夕方には連絡が取れてまずはこちらも一安心です。さてどうしたものかともう一人と相談。ワンセグで見るニュースでは東北がとんでも無いことに。都心も交通はほとんどストップしています。私は自宅まで10数キロなのですがもう一人は横浜方面です。とても帰れそうに無いと彼は判断して「コンビニに買い出し行っておきます。」と行ってきて報告が「もうオニギリやパンは無かったです。」と言うことでカップ麺を買ってきていました。待てば地下鉄は動くようになるかとも思ったのですが妻から電話で「何してんの?とても今日は動きそうに無いよ?早めに帰ってきて!」との連絡が。長女も何時になるか分からないけど学校まで迎えに来てくれと連絡があったそうです。そこで根性を決めて事務所にある折り畳み自転車で帰宅することに。残るメンバーに気を付けてと言い残して自転車で事務所を後にしました。まだ6時頃だったので空にも明るさが残っている時間でした。

自転車で靖国通りに出ると帰宅者が徒歩で車で自転車で続々と郊外を目指しています。その流れに乗って自転車で人混みや車混みをスラロームしながら千葉方面へ。途中の両国橋では人が多すぎて自転車も押すことに。その時に千葉方面の空には不自然な白い大きな雲がありました。後で思えば千葉湾岸の火災の煙だったのかもしれません。隅田川を越えたらすぐに裏道に。この辺りは車でも良く通る道なので土地勘があります。表通りはすごい人・車・自転車でまともに自転車で走れません。でも一本裏通りに入ればガラガラです。裏道を通って小一時間で荒川にたどり着きました。船堀橋を越えれば長女の学校はすぐです。自販機は動いていたので水分補給して長い船堀橋をやはり人混みにもまれつつ渡ります。長女の学校には家族全員がいました。長女も私が到着する直前に徒歩で帰校できていたそうです。家族全員揃ってコンビニに寄って帰りました。その時のコンビニにもパンやオニギリやお弁当は消え失せていました。とりあえずおかずになりそうな物とカップ麺等を買って帰り、全員の無事を喜びつつ夕食にしたのでした。

その後も余震が続いています。子供たちは余震のたびに怯えています。ですが家族も会社の皆も無事で本当に良かったです。実は地震の後は在宅勤務体制にして事務所には私一人が出社しているので他のメンバーの顔は地震後にはまだ見ていません。ただメールでは皆元気に仕事しています。今週は会えるかなと思っていますがどうなりますか。

それにしても地震後の情報収集は速報性も含めてTwitterに凄く助けられました。仕事系と趣味の宇宙開発系のクラスタに属していますがどちらも理系の方が多いので情報の速報や分析も的確で、逆にマスコミの情報がなんと遅く不確かなものに感じたことでしょう。映像の迫力はさすがにTV等には劣りますしデマも拡散してしまう欠点もありますが、Twitterはもう欠かせない情報源になっていたのでした。

東北地方はまだまだ大変ですし計画停電も色々と影響があります。事務所もエアコンは使わない電気ポットも使わない蛍光灯は半分にする等で昼間は節電に努めています。これから夏にかけてきっと色々問題はあるのでしょう。日本自体もどうなるのか先も読めません。でも我々はやれることをやるしかありません。何とか前向きに頑張って行きたいと思います。明けない夜はありません。頑張りましょう!!

最後に当日のTwitterのログを残しておきます。

2011-03-21 02:17:15 - miyachi - [プログラマの生活] -

コメント一覧

コメント無し

コメントを書く

このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。